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創業1912年、現存のハワイ日本語新聞社として最古の「ハワイ報知」に行ってきました。
創始者・牧野金三郎氏の胸像。
うーむ、今日のハワイ富士の正体、雲が掛かっちゃってました、、。
お馴染み、チャイナマンズ・ハットをパリ・ゴルフコースより。距離からしたら3,4キロ離れてると思います。
困ったときのハワイの景色。ヤシの木を撮れば何とかハワイを前面に出せる、、(笑)。
H-1フリウェー、空港近くの高架鉄道橋桁が大分できてきたぞ!
ウェスト・ロックGCのマンゴの赤ちゃんがいっぱい出来てきた!
真珠湾攻撃があったころ、ホノルルには、「ハワイ報知」「日布時事」「布哇毎日」
3つの邦字新聞社があり、更にハワイ島に「アロハ火山」、
マウイ島に「馬哇(マウイ)新聞」などがあった。
1940年、ハワイ日系人の人口は15万705人、
その3分の2以上が二世だった。
そんな状況でこの新聞数は供給過多と言えたかも知れない。
しかし「日本人が3人よれば新聞・雑誌を発行する」、
と言われるほどハワイの日本人は新聞が好きだったらしい。
1892年(明治27年)9月1日、
元年者(がんねんもの)の志保忠三郎氏によって創刊された
「布哇(ハワイ)新報」が、
ハワイに於ける最初の邦字新聞だと言われていている。
「元年者」とは、1868年(明治元年)にサイオト号と言う船に乗ってやっ
て来た、日本人最初のハワイ移民たちを指す。
以来、驚くほどの数の新聞が発行されている。
布哇新聞、布哇新報、布哇ヒロ新聞、布哇護教、布哇パック、
布哇植民新報、布哇商業時報、実業の布哇、布哇朝日新聞、
布哇毎日新聞、布哇毎日、布哇朝報、布哇仏教、新布哇、
布哇日報、布哇報知、、アロハ火山、コナ反響、コナ週報、
ほのるる新聞、馬哇新聞、馬哇報知新聞、マウイ新誌、
マウイ週刊新聞,カウ週報,オーカラ週報、楽園、オアフ時報、
ヒロ新報、、、、。枚挙に暇がない。
なんて、これは健太が書いた小説の一部をコピペしたものだけど、
こんな具合に小説はもちろんハワイを舞台にしたものもので、
こうしたハワイ日系人の歴史が山のように出てくる。
何時しか本が出版されたらぜひ買ってくださいね。
で、どうってことはない、
ハワイ報知社には購読料を支払いに行ってきただけでした、、(笑)。
健太さん、こんばんは
てっきりワイハ小説の連載でも始めるのかと思いましたよ。
健太さんは戦前のハワイに詳しそうなので、当時のハワイを舞台に探偵小説でも書いてみられれば面白いんじゃないかと思いますが。
そういえば、ハワイ報知って普通の新聞なんですか?
アロハ年鑑出してる出版社くらいの認識しかなかったです。
いまやハワイで紙の日経新聞が読める時代だけにハワイの新聞社も大変でしょうね。
もっとも日本の新聞社も実態は不動産会社化して久しいですが。
こちらの今年は1月の営業日数が短いのでどこもかしこもてんやわんやみたいです。
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健ヤン
ミー も70年初頭 ハワイ報知を購読してました、
懐かしい…
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ダイアルはM@愛鴨 さん
今晩は!
面白い話が書けそうなんですが、、、(笑)。
上にも書いたようにかつては凄い数の日本語新聞がハワイにもあったんですが、
インターネットでニュースも読める昨今、
需要が低いですね。
それでもローカルニュースが読めるので、いまだにそれなりの人気があるようです。
お忙しそうですね。
大いに稼いでください、、(笑)。
Tedさん
健太は70年代にはハワイタイムスとハワイ報知両紙を購読していました。
ハワイタイムスが無くなったのは本当に惜しい気がします。
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ハワイ報知社には購読料を支払いに行ってきただけでした、、(笑)。
なんだか 健太さんらしくて 渋いね👍、あの運河沿いを テク 〜 歩いていたんだろうなぁ…
眼は大丈夫⁉️、眼が見えないと、ワヒネsが 酢だコンニャクだ、と言えないよ
祈回復🙏
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ハワイ報知に出てるけど、日本では成人式云々、
だけど米国では 日本の様な成人式て無いよ…
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明治元年組じゃ無いけど、
マスタードで刺身を食べました。 (マスタードと日本のカラシは違うのよ)
米国中西部 何処を見渡しても地平線、立ち小便、
野糞 etc. 何をしてもビクともしない大地です👍
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Tedさん
ハワイ報知社のビルは日の有名な建築士によるものだそうです。丹下健三、、、かな、、。
そうそう、健太も良く辛子で刺身食べさせられました、、汗。
中西部はスケールがでかいね!
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