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1941年12月8日真珠湾攻撃による日米開戦は多くの悲劇をハワイに住む日系人にもたらした。
太平洋沿岸の日系人10数万人は強制立ち退きを命ぜられた。この米国の出たら目な取り扱いに対し、米国市民権を持つ日系2世は「憲法違反である!」と講義した。
そうした講義デモの先頭に立ったのは、第一次世界大戦でアメリカのために戦った勇士であり、また米国民であることに誰よりも誇りを持って強く生きていた「ジョセフ・栗原」だった。
彼はそうしてアメリカ人として誇りを持って生きたにもかかわらず、
「ジャップ」の一言で辱しめられ、
彼が米国民として第一次世界大戦で戦った名誉さえ踏みにじられ、
銃剣の先でこづき回され、全く人間としての取り扱いを与えられなかった。
彼の米国に対する非人道と不正義に対する挑戦はこうして始まり、
遂には米国市民権を放棄、
戦後焦土と化した日本に多くの二世とともに引き上げた。
しかし貧乏と困窮のどん底にあった敗戦国日本は、多くの二世にとって住みよい場所ではなかった。
そのためあれほど米国の不信に憤り、市民権を放棄してまで日本を選んだ二世たちも、
その殆どがのちに米国市民権を回復して米国に戻ってしまった。
そんな中、ジョセフ・栗原は困窮に耐え、日本で、日本人になる事に全力を尽くした。
生涯独身で老境に入った彼は、黙々と東京の片隅に生き、
冷ややかな現代日本人の人情を見つめつつ、
盆栽、盆景に関する本を英訳しては日本の美しさを海外に伝え、
欧米でベストセラーの一つとして称えられた。
彼はあらゆる困苦と戦っていたが、その間自分の運命については一言も愚痴を言わず、
古武士のような態度で生き抜いた。
そして昭和40年、東京目黒の宿舎で脳溢血の為その生涯を閉じた。
彼はカウアイ島に生まれ、東京で70年の生涯を閉じるまで、
自らの信ずるところに断固として生き抜いた熱血漢だった。
聖書を片手に一刻として純潔の精神を忘れず、
人生最後の一ページまで男らしく闘い抜いた。
残された彼のタイプライターには「自然に還れ」、
と題された次の一文が残されていた。
世界は偉大なる科学の進歩をたたえている。
しかし人はいかにして月に行くかに苦労して、
大地より生まれたことを忘れている。
幼き日に一握りの土を持って泥だんごをつくり、
トンネルや穴を掘って遊んだ事を忘れている。
人生と健康を与えてくれるこの大地の土は、
もはや我々の手や足に接していない。
現代の人々は幼き日に自然が与えてくれた喜びの全てを忘れてしまっている。
この本の教えるところは、日本人がいかに限られた狭い場所と資材で、
石や土を持って限りない自然の喜びを味わう事が出来るかを、
教えたものである。
現代の歪められた全てを超越して、
そこに改めて自然を味わう、日本の偉大な芸術があるのだ。
実はこれは彼が残そうとした著書の書き出しだったが、
不幸ににしてその完成を見ずして帰らぬ人となってしまった、、、。
注:この内容は生前大変お世話になった、日系二世村山氏から頂いた資料を元にしました。


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カスコのコーヒーにはお世話になってます。 そしてテレビ、相変わらずハワイは安いです。 パナソニックがウオールフィットテレビを発表しました。 ワイヤレス、スピーカーも画面にして薄いテレビにしたそう。 うーん、KかC国に真似されるのかなあ。
15回目有難うございます。 初期の顛末が分かります。 吉永小百合さんよりハワイを選ぶって凄いなあ。
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健太さん、
思い出しました、スギさん 前立腺癌で亡くなりましたね…
10年程前 だったかなぁ… 月日の経つのは早い。
合掌
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タロッペいたばしさん
カークランドのコーヒー安くておいしいですね!
大きいんでひと缶買うと半年以上持ちます。
とんまはインスタントが好きなので健太一人で飲みます。
パナソニックの新しいテレビ、ニュースで見ました。
画面全体がスピーカーになるとか、、、。
どうせまた特許を無断で使用されちゃうんでしょうが、、涙。
彼らは特許を無断で使って係争をしている間にひと稼ぎしちゃって、
判決が出たころにはもうブームは去っています、、汗。
吉永さんには振られました、、(笑)。
Tedさん
よく覚えているな~!
彼が亡くなってから来年で10年になります。
もたもたしているうちに自分たちの番がやってきますね、、(笑)。
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