カイルアのカイト・サーフィン!
同じくカイルアの、ウィンド&カイト・サーフィン!
かなりの迫力です!
カイルア・ビーチから見たキング・コング島(モクルア・アイランド)。
石塔はラニカイのサイン!
海岸の浸食で枯れてゆくパイン・ツリー。
モクルア・アイランズ!
なんとも芸術的なショットです、、(笑)!
ラニカイ海岸沿いの家々には、こうしてカタマランなどを所有しているところが多い。
やった、以前健太のCDのジャケットにしたヨットだぞ!
ウェストロック・ゴルフ・コースで、まるで錆たような木を見つけました、木も錆るのでしょうか、、。
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いま日本はとても危険な立場にいるような気がする。
戦後営々と築上げた日本経済は、
どこで狂ってしまったのか、
30年間にもわたって低迷を続けている。
また巷ではわけのわからない偏執的な事件が起きたり、
市民の財産と安全を守るべき警察官が、
次々と低俗な罪を犯している。
政治家たちは相変もわらず私利私欲のために権力闘争に明け暮れ、
官僚や役人たちは税金をむさぼり、
わが身の保身だけに動き回っている。
いったい何がこうさせてしまったのだろう、、。
実は、
最近その原因がわかってきた様な気がする。
それはどうやら戦後アメリカが持ち込んだ、
「合理主義」が原因ではないだろうか、、。
合理主義は目に見えない「精神」よりも、
現実に目の前にある物質に比重を置くという欧米型発想だ。
何事も数字に置き換えてその優劣を判断、
そこには一切人間の持つ感情など介在しない。
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黒船が来る以前の日本社会は「武士」がリーダーとして、
人々の見本となって秩序を保って来た。
よって、
「士」に従っていた「農・工・商」も、
人間としてどう生きるべきかをそれらから学び、
貧しいながらも300年間にもわたって江戸幕府は続き、
社会の安定を保ってきた。
実は黒船でやってきたアメリカ人たちも、
当初日本社会の素晴らしさに眼を見張ったと言われている。
江戸市民たちの身なりは継ぎはぎだらけの粗末なものでも、
洗濯の行き届いた極めて清潔なものだった。
また彼らは何事にも控えめで折り目正しく、
むしろその姿勢は優雅にさえ思えたとする記録が残ってる。
そんな彼らは、
「果たして、我々がここへ来たことが正しかったかどうか、
はなはだ疑問だ、、」
とも言っている。
現代日本人は(私も含めて)身なりを小綺麗にまとめて、
何事も自己中心的、
少しでも得をしようとそつなく動き回る。
何か事が起ころうものなら、
即他人に責任転嫁して、自分は素知らぬ顔。
こんなことでは安定した世の中など生まれるわけがない。
つまり、現代日本に欠けているもの、
それは、
嘗ては日本の屋台骨となっていた「武士道」だ。
その模範のような人物が明治維新に存在した。
西郷隆盛だ。
明治維新、日本の閣僚の中で最有力でありながら、
西郷の外見はごく普通の兵士と変わらず、
月収が数百円あったところ必要とする分は15円でたり、
残りは困っている友人がいれば惜しみなく与えた。
東京の番町の住居はみすぼらしい建物で、
家賃はひと月3円。
その普段着は薩摩がすりで、
幅広の木綿帯、足には大きな下駄を履くだけだった。
武士道の徳目で「無私無欲」というのがある。
西郷は自分の事はあまり考えなかった。
作家の司馬遼太郎は、
「彼は超人的な無私の心があった。彼にとって権力欲などは小さなもので、
人を狂わせるこの欲望を彼は巨大な意志力で押し潰した。
後に功績により正三位の位をもらったが、
それすら3年かけて断り続けた」
と記している。
本来の政治家の姿とは、
きっとこの西郷のような人物であるに違いない。
果たしてこれから、
そんな人物が日本に現れてくれるだろうか、、。
いや、日本だけではない、
世界のどこかにそんな人物が生まれてくれるだろうか、、、。