真珠湾攻撃に参加した特殊潜航艇。ジャイロの不調でラニカイ近くに打ち上げられた、坂巻和夫少尉艇。
長年このようにビーチに放置されていた。向こうに見える島はモクルア島。
坂巻氏は初の捕虜となりましたが、戦後ブラジル・トヨタの社長をなさっていました。
1940年代の真珠湾上空!
真珠湾を攻撃中の日本機!!
攻撃を受けて沈没して行くアリゾナ!
マカハを走るオワフ鉄道!当時はまだハワイにこんな列車がありました。
最近のアリゾナの第三砲塔。未だに虹色の重油を吐き出している、、、。
**********
今年も真珠湾攻撃・記念日がやって来る。
日本が真珠湾攻撃をしたのは、
1941年の12月7日(日本は8日)の事でした。
今時の若者たちは日本がアメリカと戦争した、、等、
話には聞いていてもなかなか信じがたいことだと思います。
しかし現実にそれは起こったのでした。
どうしてそんな事になってしまったのか?
一言で言えば、
西欧諸国の日本に対する「嫉妬」が原因だった、
と言えるでしょう
*****
長年の鎖国を解くことを、
アメリカはじめ西欧諸国から迫られた日本は、
いやいやながら開国をしたのです。
開国をしてみると、
日本は西欧諸国から大きく後れを取っていることを知らされ、
懸命に彼らの文化・文明を取り入れて行ったのです。
当初そうした熱心に欧米の文明を摂取し、
急成長をしてゆく日本の姿を見た列強諸国は、
「優等生の成長、愛い(うい)やつよ!」
と目を細めて見ていたのですが、
日本の余りの急成長に、
やがてそれは警戒のまなざしへと変わって行ったのです。
中でもアメリカは何とか日本の成長を食い止めようと、
突然アメリカにある日本の全財産を凍結・没収した上、
ガソリンの日本輸出を停止したのです。
*****
そのアメリカの措置に、
日本は身動きが取れなくなってしまったのです。
< このままでは日本は立ち行かなくなる!!>
何とか話し合いで解決しようと( 野村大使&コーデル・ハル国務長官)、
努力した日本でしたが、
アメリカは頑なに彼らの主張を翻そうとはしませんでした。
そうすることで身動きの取れなくなった日本から、
先に手を出させようと、
時の大統領ルーズベルトは画策したのです。
ルーズベルトの策にまんまと乗ってしまった日本も、
いまいち思慮が足りなかったかもしれませんね、、、。
*****
ダグラス・マッカーサーは、
アメリカ陸軍元帥・連合国軍最高司令官で、
4年近くに亘って強敵日本と戦いました。
結局日本は負けましたが、
終戦後マッカーサーはこの戦いで勇敢に国のために戦った日本兵に、
最上級の賛辞を送りました。
彼はまたこうも言ったのです。
「もしあの状況にアメリカが置かれていたら、
アメリカだって戦争を始めただろう、、」
*****
戦後、
マッカーサーは日本復興のために大変な努力をしてくれました。
いろいろ言う人もいますが、
彼がもしいなかったら、
間違いなく日本の復興はもっと遅かったばかりか
今日の日本はなかったかも知れません。
しかし残念なことに、
彼は戦後何をするにも余りにも日本側に立ったことから、
本来なら悠々自適の老後があったはずなのに、
やがて朝鮮戦争へ送られてしまうのです、、、、。
*****
12月7日は真珠湾攻撃記念日ということで、
健太の小説「ホノルル1941」が取り上げられて、
12月7日、火曜日午前10時半から、
ラジオK-ZOOに出演します。
お時間がございましたら是非お聞きください!