ついさっき出ました!
きのうはOyajiさんとランチ、凛花へ!
二人とも頼んだのは「焼き魚定食」でした。このほか2点の小鉢が付きます。
帰途にアラモアナ・センターへ!アップルストアの前あたり、、。
スタバのコーヒーでじっくり会話を楽しみました。
翼下に真珠湾が、、。シカゴからの帰途トンマが撮影!
空港周辺の高架鉄道橋工事。少しづつは、、、進んでます、、、(汗)。
ハワイっぽい(東南アジア?)Tシャツ、買ってみました!でも何時着るんだろう、、汗。
Oyajiさんとランチをすると、
ランチの後のおしゃべりが長くなる。
Oyajiさんの奥さんも近辺で友達とランチをしているので、
時間を合わせなくてはならない。
女性の「井戸端会議」は長いからね、、(笑)。
そんなOyajiさんとの会話で、
「以前にブログに載せたので知ってるかかもしれないけど、、、」
って断って健太の芸能界で大成できなかった一つの要因を話したら、
「いや、その話は知らないなあ、、」
って言ってた。
そこで結構皆さんも興味を持ってもらえそうな話なので、
もう一度そのことを書いてみたい。
でも、「またか!」って思った人がいれば飛ばしてください。
「矢沢永吉」さんと「健太(トニーズ)」って話、、、。
矢沢永吉さんは「キャロル」というバンドを解散後1975年ソロ活動に移った。
ご存知の通り芸能界は「海千山千」の跋扈する何とも陰湿なところ。
色んな「いじめ」が横行している。
矢沢さんはどちらかと言うと「硬派」、
その態度はかなり「デカイ」。
(以下、
正確な話は記憶にないのでディテールは多少違うと思いますが内容だけを感じ取って下さい)
そんな矢沢さんのデカイ態度を見たある有名な
プロデユーサー(?だったか、とにかくお偉いさん)が、
「おい矢沢、お前みたいな態度の奴は業界から抹消するぞ!」
と悪態を付いた。
そう言われた矢沢さんは、
そのプロデユーサーに向かって言った、
「上等じゃないですか!じゃあ、あんたが業界から消えてゆくか、
この俺が消えてゆくかしっかり見届けようじゃないの!」
先輩後輩、お偉いさん下っ端、
上下関係の煩い業界でよくぞ矢沢さん、言ったもんだ!!
一方健太達トニーズ、
あれは1967年だったと思う、
デビュー曲がヒットして一寸いい気になっていた健太達。
健太達の所属するレコード会社の営業の時だ。
当時の売れっ子、
「青江三奈」「三沢あけみ」「久保浩」などと並んで地方を回っていた。
何処だったか忘れたけど、
ある営業先で、
レコード会社のお偉いさん(だったと思う)が健太たちに言った。
「おい、トニーズ、お前らなんか消しゴムでいつでも消せるんだぞ!」
と来た。
突然のことで驚いた健太達、
どう対処していいか分からない。
そこでリーダーの健太が口を開いた。
「Nさん、そ、そんなこと言わないで、頑張りますからよろしくお願いしますよ!」
矢沢永吉さんとトニーズ、
「業界のいじめ」に対する態度が全く違っていた。
どちらが「良い」とは言えないけど、
汚い芸能界で生き抜くには矢沢さんのように、
「強く」なければ生きて行けなかったのかも知れない。
ある意味で矢沢さんは、
「命がけ」で仕事をしていたに違いない、、。
健太たちは、
ただ女の子達に「キャーキャー」言われたいだけだったのかもね、、汗。
残念ながら健太は、
時代がずれていたので、矢沢さんとは一面識もありません。
健太達トニーズのヒット曲「海はふるさと」聞いて下さい!
またかよ、ですか?ははは、そう言わないで100回聞いて下さいよ、、(笑)。