ジョン万次郎

H-1フリーウェーに出た虹!

ははは、、残念でした、健太は捕まりませんよ、、(笑)。

ゴルフの帰途、ワイキキ方面のH-1が急に渋滞してきました。

単品だけど75インチの4K・ TVがなんと534ドル44セント!ハワイはテレビが安いのです。

今回東京で滞在したホテルのカレー。今日食べてみましたが美味しかったです!!

以前持っていたけど失くしてしまった井伏鱒二著・ジョン万次郎漂流記。今回やっと日本で見つけました!

ハワイ報知電子版より「ハワイ色の空の下㉚」。ハワイ報知電子版(クリック!)、たった月々何と1650円でハワイの最新ニュースが入手できます!

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ハワイに興味を持っている日本人にはぜひ、

ジョン万次郎について多少は知っておいて欲しいと思う。

土佐の漁師ジョン万次郎は15歳(14歳?)の時漁に出て遭難するが、

仲間4人とともにアメリカの捕鯨船に救助され、

ハワイにやって来る。

その後万次郎のみ捕鯨船船長ホイットフィールド氏に連れられて、

米本土にわたった。

米本土ではホイットフィールド船長の助けにより、

アメリカの教育を受けたのち日本へ帰国、

幕末の日本の開国のために日米の間に立ち大いに活躍する。

後に万次郎は高知藩に新地100石の禄高で登用され、

開成学校中博士六等出仕に任ぜられて英語教授を担当した。

その翌年、

大山巌とともに晋仏戦争実地視察のため欧州に出張を命ぜられたが、

病のためロンドンに滞在することになった。

帰途アメリカに立ち寄り、

大恩人であるハアイヘイブン街のホイットフィールド家を訪ねた。

尚彼はハワイにも立ち寄り旧知を訪問している。

そして明治31年(1898年)11月12日、

享年72歳でその生涯を閉じた。

更に万次郎について詳しく知りたい方は、

ウィキペディアを是非チェックしてほしいと思います。

ジョン万次郎” への6件のフィードバック

  1. タロッペいたばしさん

    毎回きちんとコメントを下さって、本当に有難うございます。
    トンマともどもとても感謝しております。
    この「ハワイ色、、」を読んでいる方たちの中には、
    フィクションと思っている方もいらっしゃるようですが、
    時系列や登場人物の変更は多少あってもすべて実話です。
    「事実は小説よりも希なり!」
    このピストルで撃たれた時はトニーズのドラマーが近くにいました!
    今考えてもぞっとします、、。

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  2. お早うございます。
    この20年位交通違反で捕まったのは5年位前のハワイ旅行でちょうど空港の横のH1フリーウエー
    でのスピード違反しただけです。思い出しました。

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  3. 地を這うゴルフさん

    いや~、捕まったんですか!
    それはお気の毒さまでした、、。
    健太はハワイ在住53年ですが、2度ばかり捕まっています。
    しかし一度はスピードガンの黒人警官で、
    正直に彼を見てスピードを落としました、、
    って言ったら許してくれました。
    一度は誕生日に捕まって、
    チケットを切った後で誕生日と知った警官が、
    「なんで今日誕生日だったって言わなかった!」って言われました。
    もし誕生日だと言ったら許してくれたのかもしれません、、(笑)。

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  4. 健太さん、こんにちは(^O^)。
    ジョン万次郎、私も日本史の授業中で習った程度の知識しかなかったのですが、私の友人で村田英雄さんの『あゝ万次郎』をカラオケでよく唄う男が居ました)^o^(。
    彼は日本の近代史マニアでもあり、ある時、”ジョン万次郎が救出された船は本当に捕鯨船だったのか?”という話になりました(・∀・)。
    つまり、彼が救出された伊豆地方はそれ程鯨が群生している海域でもないし、実は捕鯨船の振りをした偽装軍艦ではなかったのか?
    という説を立てました^_^。
    勿論、開国前の日本近海で大砲を積んだ軍艦がウロウロしてれば、確実に問題になります^o^。
    しかし、英国もお得意とした偽装軍艦であれば、誤魔化せた可能性があります(*☻-☻*)。
    では、何故、米海軍がその時期に日本近海に居たのか?
    それは来るペリー提督来航のための情報収集ではなかったのか?
    という事だそうです( ̄▽ ̄)。
    万次郎が漂流したのはペリー来航の10年以上も前なので私的には俄には信じがたい説でした(^-^)。しかし、彼は用意周到な米国はそれくらい前から準備してもおかしくない(実際、CIAやKGBの工作は何十年も掛けて行われる例もありますしね)、それにペリー来航の時の開国があまりにもスムーズ過ぎるのは事前に様々な工作が施されていたからではないか?と云うのです(≧∀≦)。健太さんはどう思われますか?
    因みに万次郎達を救出した船の船長ウィリアム・ホイットフィールド氏は船員ではありますが、後にMassachusetts州々議員として活躍した政治家でもありますね=(^.^)=。

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  5. takeberx8さん

    ウーム、その節はなかなか面白いけど、
    やっぱり都市伝説的なものになるんじゃないでしょうか、、。
    私も数多くの書物でジョン万次郎について調べました。
    ジョン万次郎はホイットフィールドの助けで米本土で学校へ行きますが、
    ホイットフィールド氏の勧めもあって「捕鯨学」を徹底して学びます。
    なので後にジョンは違う船長の船でも捕鯨に出ます。
    又あの伊豆沖にホイットフィールド氏の捕鯨船がいたのは、
    ハワイに向かう途中だったという記述もあります。
    それにジョンの漂流が1941年だと、
    ペリー来航にはいくらなんでの早すぎますね。
    いずれにせよジョン万次郎は武士たちのやっかみもあって、
    常に影の存在でアメリカとの交渉に臨んでいたようですが、
    彼の英語力が大きく貢献したことは間違いありません。

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