
まさに天国、ここはスイスでスイス、、(笑)!

ここは、平和を絵にかいたようなところだね、、、。

つまり、今トンマはフライトでスイスに行ってます(笑)。健太はハワイでお留守番です、、(笑)。

食事は「メレ・カテリン」にて!

オーダーしたのはこれ、ハンバーガー、、かな、、(笑)見かけよりずっと美味しかったそうです。

一方、そこはまさに地獄の様相!

あの素晴らしかったラハイナの町がこんなことに、、、。

一夜にして一面焼け野原、まさに終戦直後の東京の焼け野原のようです。
昭和20年健太は当時4歳でしたが、あの焼け野原の景色は今でもしっかりとこの目に刻まれています。明大前の我が家はたまたま焼夷弾が不発で焼け残りましたが、周りは新宿が直接見えるほど一面に焼け野原でした。不発焼夷弾で天井に穴が開いていて青空が真っ青に見えた事、今でもこの目にしっかり焼き付いています。

渋滞でたくさんの車が動けずに、火が迫ってきて海に飛び込んだ人も大勢いたようです。そこはまさに地獄絵さながら、、、。
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天国と地獄
とはまさにこのような景色を言うのでしょうか、、、。
地球の裏と表ではこんなに違う景色が展開されていたのです!!
ご存じの通り、
マウイ島のラハイナは歴史あるとても美しい町でした。
1800年代後半アメリカでは捕鯨が盛んで、
たくさんの捕鯨船がこのラハイナに寄港していました。
日本のジョン万次郎は漁船遭難でアメリカの捕鯨船に助けられ、
アメリカ本土にわたってアメリカ教育を受けましたが、
捕鯨船が好きで、
その後何度も捕鯨船に乗り込んで世界中を航海しましたが、
そのたびに、
このマウイのラハイナの港に寄っていました。
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一方トンマはフライトで今回はチューリッヒへ飛びました。
Lineで写真を送ってきてくれています。
こうして、
地球の反対側に行けば絵にかいたような平和の景色があるなんて、、、
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被災者の皆さん
頑張ってください。
マウイ島に一日も早く、
平和な日々がやって来ることを願って止みません!

昭和20年の東京。ご覧のように辺り一面焼け野原でした!まさかこの年になって同じような景色を目にするとは思ってもいませんでした、、、涙。

杉並区和泉町、健太の生家。おじいちゃんが開業医でしたが、現在は「いずみ幼稚園」になっています。左の角を曲がってゆくと明大の野球部があります。健太の親父は明大のピッチャーでしたが、毎日ここを通ってこの家に住んでいた健太の母を見染めたようです、、(笑)。
奥様はフライトでチューリッヒですか、私が好きなスイスとハワイ。
昔、ウェディングの仕事でチューリッヒにも少し住んだ想い出深い街です。子供達が飛び込み遊びする湖畔の村を結ぶクルーズが好きでした。pray for maui
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あらまトンマさんチューリッヒとは! こちら台風が関西方面にそれたせいか朝方には虹🌈が出ました。 マウイの火事は送電線からのようですが地獄ですね。
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健太さん、こんにちは٩( ‘ω’ )و。
マウイの大火災のニュース、日本でも恐ろしい映像と共に報道されてます。ハワイ島なら噴火に伴う大火災の映像を見たことありますが、まさかマウイ島で………という感じです( ̄▽ ̄)。
たまたま私のFB友がマウイ島に滞在中で情報を届けてくれましたが、マウイでもパイアやカフルイなど北の街は安全なようで、その友達はワイレアからワイルクに逃げて、その後パイアに行ったようですが、ワイレアやカアナパリ、カパルアの観光客が段々と押寄せて来たので今は”天国に一番近い”ハナの方に行こうかと考えてるようです(私的にはハナはホテル少ないし、道が狭いので危険な気がしますけど(><))。
で、ラハイナの話に戻りますが、実は丁度30年前、私の新婚旅行&結婚式でハワイ着後、最初に訪れた街であります。しかも、奥さんは初ハワイでしたので、ハワイの最初の訪問地がラハイナでした。当時はバブル崩壊からのあまり年月が経っていない頃でしたので、JALはB747で成田→カフルイ直行便を飛ばしていた(当時、私は伊丹からだったので乗継でしたけどw)は頃です( ✌︎’ω’)✌︎。
なので、ラハイナの街も日本人がたくさん訪れていて、確か『紅花』のラハイナ支店もあったような記憶があります^o^。
初ハワイで燥ぐ奥さんと一緒にバニヤンツリーの前で記念撮影したり、ラハイナのマーケットプレイスでムームーを買ってあげたりした記憶があります( ◠‿◠ )。
また、かなり後の事ですが、10月末に訪れた時はハワイ諸島最大(?)の🎃Halloween行列も観ましたし、ラハイナ港からラナイ島に渡った事もありました(因みにコレはこれまでの私のハワイ歴の中で唯一の船便による他島訪問です)(╹◡╹)。
それにしても(大袈裟な表現ですが)歴史は繰返すと申しますけど、私の両親がHoneymoonで訪れたカウアイ島のココ・パームスは1992年9月のHurricane Inikiで壊滅しましたが、親子共々、想い出の地がひとつ失われましたƪ(˘⌣˘)ʃ。
只、両親と違うのは、両親はHurricane Inikiの1ヶ月前、偶然、カウアイ島のリフェを訪れ、ココ・パームスにも行ってます(#^.^#)。
なので、私たち夫婦よりは衝撃は少ないですね(๑╹ω╹๑ )。
私たちも、もしもコロナ馬鹿騒ぎさえなければ、この三年間のうちにマウイ島を訪れてたかもしれないと考えるとコロナ仕掛人(とそれに煽られた連中)は許せんですᕦ(ò_óˇ)ᕤ。
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藤本 準造さん
スイスもハワイもお好きなんですね!
たしかにそこには両極端の美しさがありますね。
チューリッヒにお住んでたなんて、凄いなあ、、。
トンマは昨日帰ってきましたが素晴らしいところだと感激していました。
どちらも、何もなければ「平和そのもの」ですが、
今回のマウイの火災にはハワイ住民全員が心を痛めています、、、。
タロッペいたばしさん
昨日トンマはチューリッヒから戻ってきました。
素晴らしいところだたととても感激していました。
恐らくタロッペさんも行ったことがあると思いますが、
チューリッヒはウィーンから近いのかなあ、、
世界地図よくわかりません、、、汗。
ハワイでは毎日のようにマウイの事を報道しています、、。
takeberx8さん
今日は!
Youtubeでも日本のニュースでマウイの事が大々的にアップされていますね、、。
本当にいまだに信じられません。
健太がマウイに行ったのはもう30年以上前のことで、
すっかり忘れていますが、
何と言っても歴史的な町ラハイナがこんなことになってしまって、
悔しいと言うか、、、とにかく残念でなりません。
そうそう、紅花マウイ店がありましたね!
その後オアフ島の紅花がどうなったんかすら良く分かりませんが、
白人には絶大な人気がありました!
ラハイナ港からラナイ島の船旅が唯一のハワイ船旅ですか?
健太はホノルルーラハイナを水中翼船(今は廃止されてありません)で行きました。
しかしあまり時間がかかって、
ちっとも楽しくなかったという記憶があります、、(笑)。
いずれにしてもtakeberx8さんに多く想い出のある街が、
こんなことになっちゃって、残念ですね、、、。
その時に撮った数々の写真が今は貴重なものになってると思います
大切になさって下さい。
それにしても親子そろって、
ハワイの思い出の地が消失しちゃったなんて、、。
世の中そんなこともあるんですね、、。
おっしゃる通り、
コロナの仕掛人は憎んでも憎み切れません!
コロナのおかげで世界中がどれだけ迷惑した事か、
許せません!
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健太さん
欧米、アジア、両地域での
文化、民度の違いでしょうね。
ニース、サントロペなどでは
自然保護の規制が厳しい。
反面、ハワイは💰カネ〜 で
自然保護 , とりわけ高層ビルの
建設基準等は, あって無いに等しい。 加えて 地域的にも東南アジア化が顕著であり、食生活等では
日本人には向いている👌
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PS
何度もしつっこいが、
我々の時代は 日系人とハオレ
がハワイを牛耳り、それに
ハワイアンとパケ(支那人) が
参加していた。
シリッピンと鮮人の 影響力が
少々でベトコン等は皆無でした、
加えて黒人も少なかった。
良き時代のハワイ👍
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Tedさん
ハワイも10年ほど前に財政難で大変でした。
結果高層ビルにどんどんOK’を出していって、
現在のようなアグリな街になってしまいまいました、、涙。
なんだかんだきれいごとを言っても所詮金の力にはかないませんね、、。
食生活が日本に向いているですか?
それは大分違うと思います。
最近のハワイの食い物はどんどん悪くなってきているように思えます。
おっしゃる通りかつては本当に素晴らしいハワイ社会でしたね!
それに引き換え、今は品もないし、
ハワイの伝統的な美しさもどんどん失われてきています。
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