
1964年・トニーズの前身「松竹ザ・ダイアモンズ」結成時。左から坂田芳雄・ギター、大下哲也・ベース、栗原喜明(クリ・フランキー)・ドラムス、荒木健太・ギター(トニー)。今日の写真は全て、モノクロをカラーにしたものです。

1965年、撮影の合間の健太と岡田光弘・初期のドラマー(後にスクール・メイツ・リーダー)。

そしてアキ(秋元栄次郎・後にトニーズのベースマン)と、、。

およそ「ヅラ」が似合わない健太でした、、(笑)。

撮影の合間です。。

アクションスターを夢見ていたのです。今考えて見ると、とんだ勘違いをしていたようです、、(笑)。

撮影がないときは、時々見学者を案内をさせられました、、、。

1966年、営業で大阪に向かう健太・アット・トウキョウ駅!
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健太の住んでいるコンドの倉庫を修理すると言うので、
今週中に倉庫を一旦空にしなければならなかった。
いやー、
出てくるは出てくるはガラクタの山!
結局長年使ってないんだから、
全部捨ててしまえばいいんだけど、
ご覧のように懐かしい写真なんかが沢山あって、
なかなか捨てられないのです。
いずれにしても、
倉庫の埃なんか体に良い訳がないよね!
うっかりマスクもせずに4日間作業をしてうるちに、
酷い風邪をひかされて、
2日間ほど寝込んでました、、、。
(頑張れ健太!)
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ところで、
一枚目の写真のトニーズの前身「ザ・ダイアモンズ」、
健太とクリはトニーズになったけど、
あとの二人は俳優のままでした。
坂田芳雄君は、
御用聞きや洗濯配達などとても重宝に使われて、
スターにはならなかったけど結構売れっ子でした。
またベースの大下哲也君(左から2番目)はこのあと、
主役の国語教師・相田先生役に抜擢されました。
その後「悪役商会」」のメンバーとして活躍していたけど、
ハワイに松竹の先輩俳優・三上真一郎さんがきた時、
大下君は「横須賀線・手塚」で、
料理屋さんをやっているとの情報をくれました。