究極の和食!!

プリンセス・カイオラニ・ホテル。向こうにちらりとモアナホテルが見える。
今朝トンマがミーティングで行ったつもりが、ミーティングはハイヤットでした、、(笑)。
慌てて向かったハイヤット・リージェンシー!手前の囲いは元・キングスビレッジ。
新しいホテル建設はその後進んでいません、、。
健太はラグーンのFedExに荷物を取りに行って来ました。
ラグーン、天気が悪かったです、、
ラグーンには小さな航空会社が沢山あります。健太の小説「ホノルル1041」にも出てきます、、(笑)。
壊れたセスナなんかが置いてありました、、。
新しいスパークリング・ウォーター「アハ」!
さすがコカ・コーラで出しているだけあって、意外と美味しかった
火曜日の歩数です!

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昔に比べるとハワイでも日本食品が結構手ごろな値段で手に入る。

1967年54年前、

健太が初めてハワイに来た当初はインスタント・ラーメンすら貴重品、

一つのインスタント・ラーメンを、

バンド・メンバー4人で分け合って食べたこともある。

2021年現在健太家の食品は、

カスコ(コストコ)やサムスで大抵賄える。

そこで揃わない時は日本食品専門店「マルカイ」、

「ドンキ」「ニジヤ」などで入手する。

それでもこのコロナ禍では、

トンマが日本へ行けないので、

日本と同じ、、、というわけには行かなくなっている。

米はカリフォルニア産も最近は美味いコメがあるのでそれで何とか、、、。

しかしやっぱり本物の日本のものが食べたい!

「寿司」「とんかつ」「ラーメン」「美味しいパン」などなど、、。

そんな具合に本物の日本食が食べたくなると、

健太はまず飯を炊く!

そしてタクアンを「ざく切り」にして。

温かいご飯に載せてこいつをかき込むのだ!

タクアン・メシは昭和生まれの健太にとって究極の和食、

いや~、これで結構満足できるのである、、(笑)。

ぶつ切りタクアン!

気のゆるみ、、、、

カスコ(コストコ)に行って来ました。
ランチはコスコのホット・ドッグ、1ドル50セントでコーラもついてくる。これが結構うまいのだ!
ダウンタウンのホノルル市庁舎(ホノルル・ハレ)、1929年に当時の金額で総工費75万ドルで完成!
カカアコのタウン・アート。
カカアコ・ダウンタウン・コンド群!
自主隔離期間じゃなかったの、石川遼選手?!

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10月23日(日本時間)プロゴルファー・石川遼選手は、

来季の米下部ツアーの出場権獲得を目指してアメリカに来ていた。

2次予選会に出場した彼だが残念ながら5打及ばず、

最終ステージ進出前に敗退した。

その直後には「いつ帰国するかもわからない」

と言っていた石川選手だったようだがその数日後、

思いがけない場所に彼はいたと言う。

「10月27日の事でした。

つい先日まで、

アメリカで試合に出ていた石川選手が千葉にいたので驚きました。

帰国したのは早くても24日のはずですよね、

帰国後は14日間のクウォランティーン期間があるはずのに、

その彼が一般人もプレーするゴルフコースに出て、

仲間とラウンドをしていたので驚きました」  

千葉県内のゴルフ場に居合わせたある利用客の一言。

実は石川選手は今年6月、

東京五輪の強化選手としてアメリカから帰国後、

特例で隔離期間を免除されたことがあった。

そのせいもあって、

「自分は特別!」と思って

そんな行動に出てしまったのかも知れないが、

日本を代表するプロ・ゴルファーの一人である石川遼選手、

こんな気のゆるみがアメリカ下部ツアーすら突破できない、

精神的弱さを作っているのではないだろうか、

とても残念だと思います、、、、。

<ヤフー・ニュースを参考にさせて頂きました>

嘘しか言いません!

縦虹が出ました!
ココナッツ・ツリーの脱皮!下に垂れている枯葉が脱皮部分だと思ます、、。
手前のヒョロヒョロはパパイヤ!
タロッペさんが懐かしいワイマルの出口です、、(笑)。
「バインヤード」?いえいえ、皆さん「ヴィニヤード」って言ってるように聞こえます。
ここから出てダウンタウンに行けます。
マック、健太の大好きなダブル・クオーターポンド!
ダイアモンドヘッド、、ではないのです!パンチ・ボールです。
初めてハワイに来た頃に良く感違いをしました!
健太のアイアン&パター!
今日はこんな歩数でした!

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健太の体調ですか?

大丈夫!

「今日も元気だ肩が痛い!」

肩が痛いのは生きてる証拠、

まあこの年になればその程度なら「元気」、

と言っても差しつかえありません、、(笑)。

皆さん聞いたことがあると思うけど、

ある病院の待合ロビーで、

大勢の年寄りが自分たちの番を待ちながら歓談をしている。

「山田さん、今日来てないわねえ?」

「ああ、そう言えば来てないね、どこか具合が悪いんじゃないの、、、」

*****

ある村の床屋さん、

彼は「自分の髭を剃らない人だけ」髭を剃るそうです。

「、、、、、」

またその村の村長さんは、

「私は嘘しか言いません!」

と、常に言っているそうです、、、(笑)。

ははは、、こう言うのレトリックって言うよね、、。

きっと皆さんも一度は聞いたことあると思います!

Nothing is too late!

H-1 フリーウェー・ウェスト、下り坂の先は真珠湾!
わーっ、我が家に向って雨がやって来るぞ~!ハワイは雨期に入ってます。
ケワロ湾の山側カカアコ地区。
そしてケワロ湾!!
ケワロ湾もコンドの工事が終われば、少しは景観が良くなると思います、、。
そして、さっきの夕焼けです。

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壁を破れ!

前回このブログにそんなことを載せた。

で、

以前にそんなことを口にした健太に、

「健太、いい爺さんが、

ガキじゃあるまいし、いまさら何言ってんだよ!」

って言われたことがある。

人は色んなことを言うよね。

と言うのもその昔、

健太が何かの折に「もう年だし遅いかもね、、」って、

言ったことがあるんだけど、

それを聞いていた小学生の健太の長男が、

「パパ、学校で習ったんだけど先生は、

Nothing is too late! って言ってたよ!」

「、、、、、」

皆さん、子供だって知ってます!

80歳だって90歳だって、

何事も遅すぎることはありません!

とにかく「Nothing is too late!」、

ガキじゃあるまいし、って言われても良い、

明日死ぬかもしれないという時でさえ、

心行くまで思いっきって挑戦しようよ!

壁を破れ!!

ウェスト・ロックGC7番ホール脇を走る、高架鉄道試運転車!久しぶりにお目見えです。
でも資金不足で完成は2031年だそうです。またその不足資金の調達方法も今のところ見当たらない、、だとさ、、涙。
さっき山沿いに出た虹!
お馴染み、ウェストロック16番ホール。
おっと危ない、ちょっと制限速度オーバーでした、、汗。
日本食品店、マルカイに行ってきました
ハワイズ・ベスト・ファーストプレイス、マルカイさん受賞したのかなあ、、
この本の著者は医学博士「荒木治義」、警視庁の鑑識課にいた健太のお爺ちゃんです!
様々な殺人事件の鑑識結果やその方法などが盛りだくさん。
この「ホノルル1941」は健太の著書、、。上のお爺ちゃんの本が1941年発行だったのは驚きです。
それは健太の生まれた年でもあります
月曜日の歩数です!

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何か新しいことをやろうとするには、

目の前に立ちはだかる壁を破らなければならない。

その壁を破るのは大変なことで、

ちょっとやそっとではなかなか叶わない。

しかし、

中には「天才」なんてのがいて、

いとも簡単にそいつを破っちゃうことがあるのだ!

健太の業界で言えば、

エルビス、ビートルズ、、、。

彼らは最初、

一部から強烈な迫害、反発を受ける。

エルビスは当初、

「白人が黒人のような発声で、体を卑猥に動かして歌う不道徳歌手だ!」

とアメリカの多くの大人たちが眉をひそめた。

また、ビートルズは、

「所詮彼らはチャック・ベリーやエルビスの亜流だ!」

と評されてそっぽを向かれた。

大谷翔平などは、

「単なるべーブルースの真似じゃないか!」と言われたこともある。

しかし間違いなく、’

彼らは今までの壁を完全にぶっ壊して前進してくれた!

大谷に関しては今や「べーブルースを超えている!」

とまで評されている。

さて凡人健太君、

何とか目の前の壁をぶっ壊そうと、

夜も寝ないで昼寝して、頑張ってます!

しかし「夜も寝ないで昼寝して、、」

などのジョークを平気で口にすること自体、

壁を破ろうとする者の姿勢からは、

およそかけ離れている気がしないでもないけどね、、汗。

恩返しはしてくれますか?

ワイキキのインターナショナル・マーケット・プレイス。久しぶりに、、、
やってきました!
中には昔のままのバニアン・ツリーとサインがありました!
まだこんな店あるんですね。ガラガラでした、、汗。
ミツワ、日本のコンビニもあります。
な、なんと健太の本「ホノルル1941」を売っててくれました!!
カラカウアとロイヤル・ハワイアン角。
ワイキキ・ビジネス・プラザ。日本の旅行社が沢山入ってます!昔は鯉の絵が描いてありました
無料雑誌のラック。わー、殆ど何にもないね!

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トンマの会社UAの日本行きフライトが、

未だに何時再開されるか分からない。

お蔭で健太もトンマも日本に行けなくて困ってます。

それもこれも「憎っきコロナ」のせいだ。

どう考えてもこのコロナは中国・武漢発に間違いはない。

世界中がこれほど困らされていると言うのに、

一向に中國政府から詫びの声が聞こえない。

一体何時からあの国はあんな国になってしまったのだ、、。

健太は子供のころから、

中国の昔話を読んで沢山のことを学ばせてもらったのに、、。

*****

昔、中國洛陽に鬼谷(きこく)という村があった。

そこには鬼谷先生と呼ばれる先生がいて塾を開いていた。

そしてそこからは蘇秦と張儀と言う優れた人物が排出された。

中國・戦国七雄では「秦」が超大国で、

「楚」がこれに次いで「斉」がその後を追っていた。

かつての大国「晋」は韓・魏・趙の3っに分裂、

合わせて「三晋」と呼ばれ統一されない限り小国に過ぎなかった。

そこで「蘇秦」は「合従(がっしょう)」と言う説を唱えて、

「趙」に徴用された。

「合従」とは超大国「秦」に対抗して、

後の6国が力を合わせて立ち向かえば何とかなる!

と言うものだ。

結果「蘇秦」は「趙」の重臣となった。

しかし実際に「秦」から攻められてしまえば、

それでも防ぎきれないのが現実だった。

もしそんなことがあれば、

蘇秦はたちまち失脚させられる。

一方、なかなか目が出ない「張儀」は、

「同級生の蘇秦が『合従』ならば、俺は『連衡』だ!」

「連衡」、つまり横並びで平和を守ろうと言うもの。

そんな時、

蘇秦から置いてきぼりを食った張儀にある人が言った。

「同級生の蘇秦さんに良い仕事を斡旋してもらっては、、」

張儀はそれに従って趙の「蘇秦」に面会に行くが、

蘇秦は中々会ってくれない。

張儀は腹を立てて「趙」を去った。

怒りが止まらない張儀は、

「よし、こうなったら『秦王』に仕えて「蘇秦」を滅ぼしてやろう!」

と言って「秦」へ向かった。

然し何のコネもない上、

たとえ運よく良い推薦者に出会えたとしても、

何らかの「手土産」くらい持って行かねば話にならない。

と、

運の良いことに、

同じ宿に居合わせた宿泊客が「張儀」の人柄・才能にほれ込んでか、

「私の手もとに丁度『黄金』と『布地』『馬車』がございます。

それをご用立てしましょう!」

と言ってくれたのだ。

張儀はこの幸運に小躍り、

取あえず秦王に合えさえすれば「実力」には自信がある、

得意の弁舌が相手の心を鷲掴みしてしまうのだ。

はたして「秦王」に会った張儀は秦国に重用されるようになった。

そのころ、

あの支度金品を揃えてくれた男が急に帰国すると言い出した。

「あなたのおかげで私はこうして出世出来ました。

これから恩返しをしようと思っているのに、何故急に?」

と張儀が言うと、

「張儀さん。実はあれは全部『蘇秦様』のお計らいなのです。

冷たくあしらってあなたを発奮させようとなさったのですよ、、、」

「うーむ!」

張儀は思わず唸った。

<この戦国の世の中、

何時相手に助けてもらわなければならないことがあるやも知れぬ、、

まさかの時には頼むぞ!>

蘇秦の心の声が張儀にはっきり聞こえた・・。

張儀は万が一何かが起こればいの一番に蘇秦の力になろうと、

深く心に刻んだのだ。

*****

さて現代中国、この張儀のように、

新幹線技術をはじめ様々な技術を提供、

更にODAでは莫大な金額を投じて手助けをした日本への恩返,

心から考えていてくれているだろうか、、、。

選択肢を減らせ!!

あーっ、雨がやって来る!!
その前兆はとっくにありました、、。
とんまが行くウェストロックGCの8番。大好きな景色です!
H-1ウェスト。向こうの山はワイアナエ山脈。
アラモアナ・ブルバードとワードの交差点。カカアコのニューコンド群が凄い、、。
セーフウェーのサンドウィッチ。長さ50センチ近くありました!
サムスのマドレーヌ24個入り。アメリカ製にしては美味しくてコーヒーによく合います!
月曜日の歩数はこれ!
今日はこれでした!

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秋山さと子さんと言う方がいた。

「いた」という事は既に(1992年)亡くなっているからだ。

東京都出身。

1923年、曹同宗の寺院に生まれる。1940年文化学院を卒業。

19歳の時結婚。28歳で離婚。

その後ジャズ歌手やディスクジョッキー、デザイナーとして活動する。

35歳の時に駒澤大学仏教学部に入学、更に大学院へ進学。

1964年に渡欧して、ユング心理学研究所に4年間在籍。

その経験は、「チュリッヒ夢日記」として出版され、

当時のユング派の夢分析の実体験を知ることができる。

実はトンマが彼女のファンで、

若い頃彼女の主催するセミナーに何回か参加している。

また彼女の沢山の著書のなかから、

健太も何冊か読ませて頂いている。

トンマがそのセミナーに参加して、

沢山の印象に残る彼女の言葉があったと言って、

健太は事あるたびに「秋山さと子語録」の一部を、

とんまから聞かされている。

その言葉は健太の頭から何時も離れない。

例えば、

「洋服やバッグなど、

身の回りの品はブランド品を選びます!」

理由として、

「ブランド品は材質やデザインが優れていて、

大抵の場合どれを選んでも無難である!」

「また着る服は常にワンピース」

理由は、

「上下のマッチングは考えないで済む!」

*****

現代人は果てしない宇宙のように広い文化の中を彷徨っていて、

我々はそこで常に「選択」と言う行動を迫られる。

人間、

生きて行くためには余計なことに煩わされていては、

決して「強い」とは言えない我々のこの「脳」を、

肝心なところでフル回転させることは出来ない。

「瑣末的なことに捕らわれるな!」

秋山さと子さんは、

そんな事を言いたかったんだと思います、、、。

<一部ウィキペディアより借用しました>

カメハメハ大王!

土曜日なのに人もまばらなアラモアナSC、、。
Oyajiさんと、またこの中華へ!
健太は前回と同じ「担々麺」!
Oyajiさんは、「チンジャオロースー(?)」。2人でチップ込み36ドルでした。
アラモアナ山側のABCは閉まってました、、。
もちろん白木屋も閉まってます、、。
Book-Off 健太の本の売れ行きを見に行ったら、ポリスが来てて閉まってました。泥棒でも入ったのかなあ、、。
とんまがまたアンセリウムを買ってきてくれました。室内が明るくなります!
ダウンタウンのカメハメハ大王像。

**********

健太はハワイの歴史に興味があって、

今回出版した本は勿論ハワイの歴史の一部で、

真珠湾攻撃の裏話でした。

しかしハワイの歴史を語る時、

ハワイ王国のことは欠かせません。

そこで今日はその辺をざっとおさらいしてみます。

*****

イギリスの冒険家キャプテン・クックがハワイ諸島を発見したことは、

皆さんも良くご存知のことと思います。1778年の事でした。

キャプテン・クックは最初にカウアイ島を発見、

ワイメアに立ち寄り現地人と交わり水や食料の補給をしたのですが、

やがてまた航海へ出ました。

しかしその翌年の1779年、

ハワイ島のケアラケクアに戻って来たのです。

折しもハワイアンの間では、

マカヒキと言うロノの神を祭る儀式の真っ最中でした。

そこでハワイアンたちはクックの持つ西洋文化に驚き、

クックをロノの神と信じてしまったのです。

クックは自分が神と間違われていることを知りつつも、

なせるがまま、

すっかりノロの神になって行動したのです。

ハワイアンたちは下へも置かぬ歓待でクックを崇めました。

やがてクックはまた航海に出るのですが、

途中大時化に合って船のマストを折られてしまいます。

仕方なく修復の為、

船はまたハワイ島のケアラケクアに戻るのですが、

「帆の折れた船」を見たハワイアンたちは、

「神の船の帆が折れるわけがない、こいつはノロの神なんかじゃないぞ!」

と言ってクック側とハワイアンは対立、

戦いが起きて、

クックは殺されてしまいました。

然しクック以来、

イギリス、ロシアそしてアメリカなど、

沢山の西洋文化を持つ船がハワイを訪れるようになります。

当時ハワイはまだ一つに統一されておらず、

王たちがそれぞれの島にいて対立していましたが、

そこで皆さんもご良く存知の「カメハメハ」が出現します。

カメハメハは、

ずば抜けた身体能力を持っていたばかりではなく、

頭脳明晰、更に周囲からの信望も篤く、

彼の生誕地ハワイ島の王として押しも押される存在となっていました。

しかし当時、

西洋文化を持った国々の船がやって来ては、

ハワイアンと血なまぐさい争いを起こすことが多かったのです。

カメハメハは、

白人たちの戦いで2人を捕えます。

アイザック・デービスとジョン・ヤング。

通常ハワイアンたちは捕虜を即殺しましたが、

カメハメハは彼ら2人を大切にしました。

女を与え家を与え厚遇したのです。

デービスとヤングはすっかりカメハメハに心酔して、

忠実な部下となり西洋の武器の使い方をカメハメハの部下に教えるのです。

やがてカメハメハがハワイ全島統一のために戦いに出ると、

デービスとヤングが全面的に支援、

各島の王たちとの戦いに勝利を収めて行くのです。

実際には紆余曲折、

多難な道でしたが何とかカメハメハは全島を統一、

ハワイの王様になるのです。

この続きは、、、またね、、(笑)。

早く死ね!!

虹っぽい空でした!
アップにすると、、、、。
タロッペさん、ウェストロックGC7番の満開プルメリアです!
水辺に生息する足長の、ハワイアン・スティルト君!
青空に翻る白旗、このホールは難しい、、降参です、、(笑)。
ヤシの実、デイツ、、かなあ、、、。
Umai-bo, ハワイでも買えます!
安かったハワイのテレビも最近値段が上がってます。 58インチ4K、健太は2年前に299ドルで買いました!半導体不足のせいでしょうか、、。
今日はお陰様で18ホール全部回りました!!
ダイアモンド・ヘッドワイキキ&アラモアナ、そしてダウンタウン。トンマ撮影!左端にちらりパンチ・ボールが、、。

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物価が上がってます!

昨日のニュースによるとアメリカの物価は、

去年の同時期と比べて5%以上あがっているとのこと、、、。

ハワイはご存知の通りアメリカの平均よりはるかに物価が高いので、

5%じゃすまないと思うんだよね。

上のテレビの写真で見ると、

一昨年健太が買ったヒタチの58インチ4Kテレビは、

サムスクラブで299ドルでした。

もっともこれはちと安すぎだと思うけど、

さっき同じサムス・クラブで見た同クラスのJVCの58インチ4Kが

ご覧いただいているように、469ドル。

70ドルの差ってことは、

20%以上の値上げ、、ってことだよね!

もっともテレビの場合、

現在半導体不足でさらに割高になっているようだけど、

健太のような年金暮らしの爺さんには、

この物価高、

「早く死ね!」って言われてるみたいな気がしてなりません、、涙。

因みにちょっと自慢話になるけど、

健太家の現在のテレビは75インチ・4Kになってます、、(笑)。

偉い人がいるもんだ!!

ワイアナエ山脈、そして右の山はオアフ島で一番高いカアラ山、4030フィート!
アフリカン・チューリップ!
アラモアナ・ブルバードにある元下水局。
デリングハムのオアフ刑務所。
オーキッド(蘭)は高いね、、。ははは、違えました、118ドルはこの木製の入れ物の値段のようです!
じゃあ花は幾らなんだろう、、?
ヤングストリートの J-Shop にも健太の本、「ホノルル1941」を置いていただけました。
本は表紙カバーを取るとこんな感じです
本には写真もたくさん載っています!!
後ちょっとで1万3000歩でした!
ジム・フィーリック(右)とキャディーのマイク・コーエン(フラフ)。

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今日午前11時50分ごろ、

オアフ島の自宅で地震を感じました。

ニュースによると震源地はハワイ島東17マイルで、

マグネチュード6.1。

健太ととんまはTVを見ながら微かな揺れに、

思わず目を見合わせました。

と言うのもハワイは火山島でありながら滅多に地震を感じることが無く、

健太のハワイ生活50年の間、精々4,5回体感した程度です。

この地震による津波の心配はないという事でした。

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世の中には偉い人がいるもんだ。

今日の主人公はアメリカのプロ・ゴルファー、

ジム・フィーリックさん。

彼のキャディーは通称フラフと呼ばれる、

マイク・コーエンさん。

フラフはタイガー・ウッズの最初のキャディーで、

タイガーがプロになってバッグを最初に担いだ人だ。

しかしタイガーはなぜか彼をすぐに首にした。

が、その後すぐにジム・フィーリック選手がフラフを雇ったのだ。

あれはもう20年以上前の話、、、。

フラフがタイガーのキャディーをやってた時、

すでにかなりの年配だったことを考えると、

恐らく現在彼は60歳半ばを過ぎているに違いない。

タイガーのキャディーをやったころのフラフは、

かなり太っていた。

しかし今の彼はすっかりやせ細っている。

そればかりか、

年齢のせいもあってだろう、

時にはバッグを担ぐ足取りも不確かで、

ふらついているようにさえ見受けられる。

もうとっくに引退させてもおかしくないフラフだが、

ジム・フィーリックは今もフラフを大切に使っている。

プロゴルファーにとってキャディーは大切なパートナー、

年を取ってふらついているようなキャディーでは、

足手まといさえにも思えるけど、

それでもまだジムはフラフを使っている。

きっとフラフ本人が、

「もう駄目だ、、」っていう時まで、

ジムは彼を使う気だろう、、、。

勝負の世界は厳しい。

特にプロゴルファーは予選落ちでもしたら、

1銭にいもならない無収入状態だ!

それでもフラフを頑なに使うジム、、、、

そんな彼には頭が下がります。

で、

今でも忘れられないのは今から12,3年前の事、

タイガーとジムが、

プレーオフににもつれ込んだ試合があった。

結局ジムはタイガーに競り負けちゃった。

もちろんその時のジムのキャディーはフラフで、

タイガーのキャディーはかの有名なスティーブ・ウイリアムス。

ジムはタイガーに負けてもフラフを首なんかにしなかった。

しかし一方、

後々タイガーに首にされたスティーブは、

「暴露本」を出してタイガーの悪口を書いた。

スティーブが世間からブーイングを受けたのは勿論のことだ。

勝負に勝つことは大切、

しかし、

長い人生生き抜くには、

「心の大きさ」「懐の深さ」が必要じゃないの、、。

またそんな生き方をする人に我々は惹かれるよね、、、。

ちょっと支離滅裂だったかも知れないけど、

言いたいことは分かって頂けたと思います、、、。